ひつじ≒木 根と選択の方向について
目の前の草を食むことに夢中な子羊。
ふっと顔を上げるとすぐそばにいたはずの母親がいない。
周囲をきょろきょろと数回見渡して。
ようやくか細くべぇ~と鳴き始める。
母親を探しながら鳴く子羊は何とも淋しく、かわいそうな気持ちでいっぱいになります。
数年前六甲山牧場でそんな光景を目の当たりにしました。
もっともその後すぐに母羊を見つけたようで、先ほどの情けない姿を隠すように「してやったり」な顔をされましたが笑
さて、迷える羊(ストレイシープ)は新約聖書にも使われることばであり、今では楽曲・映像作品・慣用表現としても広く使われるようになっています。
※ストライプ・シープは某作品のお店なので間違えないように注意
上記のように羊は群れからはぐれた時強烈な不安感に襲われ、判断力が低下し、愚かな行動をしてしまいがちですが、時に人間も「迷える羊」になることがあります。
そのなかでもストレイシープ - Wikipediaはまさに「現代人は迷える子羊である」をテーマとした作品であり、迷いの中で生きる命を描いています。
出来れば迷わずに生きていきたいものですが、複数の選択肢が目の前に出されたとき、あるいは選択肢すら見えなくなった時、人はどうしても迷い、戸惑ってしまいます。
私自身就活で散々迷った時期があり、そんなときに助けられた言葉があります。
「どこまで根を伸ばしたいか」
これは大阪府にある「ひつじの町」泉大津市の某議員に教えてもらったことなのですが、
①まずどの程度までの人を幸せにしたいか考える
一番短い範囲で自分、次に家族や恋人、友人、会社、国、地球.....宇宙といった具合に範囲を決めます。
②、①の範囲の人に何ができるかを考えます。
自分の能力として出来ることでも良いし、その人の為にもなると考えられればok!
少しでもそのエリアまで触れられれば良しとするみたいです。
③実際に②の行動をしてみる。
考えをとりあえず行動に移す。ここの段階で無理だとか、現実的ではないとか、非効率的だとか、今はその時ではないとか考えない。
根を伸ばす速さがキモだそうです。
④、③の行動の結果関わった人から学び、反省する。
行動には必ず他者が介入する。その他者から学び反省することでより、大きな樹になり、葉を広げることが出来るそうな。
①~④を繰り返すことで、自分がどのエリアのどんな人に何で貢献できるのかが分かり、今何をするべきかが次第に明確になってくる。
エリアが広がれば広がるほど関わる人間も広くなり、与える影響も、学べる経験も大きくなっていく。
「君たち大学生は今とにかく行動をして、エリアを広げて、いろんな分野の社会の人と交流して欲しい。そうすれば今抱えている不安も和らいで、見えてくるようになるから。」
といった具合の話だったと思います。(数年前の話なので間違っている部分もあるかもしれません。)
解釈の違いはありますが、
何かに迷ったときは。
①それは誰の幸せに繋がることなのか
②今そのために出来ることは何か
③いち早く(その触りだけでも)やる
④ちゃんと反省をする
ということなのだと私は思います。
自分のためだけなら楽だけれども、根は短く、得られるものも少ない。
より遠くまで幸せに出来ることを考えれば、自然と善き方向と手段に定まり、関わる人も増え、得られる物も大きくなってゆく。
迷った時の羅針盤として、この考え方はとても好きです。
その議員さんは大きな樹になって、広い葉で多くの大切な人の安らぎになりたいから議員を志したそうです。
それまで政治家って胡散臭いイメージがあったのですが、言葉と行動と思想に一貫性があるその議員さんを見て、ちょっと見る目が変わりました。
迷い羊にならないように、迷ったときは木の話を思い出して、一歩ずつ屠所の歩みを続けたいと思います....なんてね笑