ひつじ≒音 クオリア分析について
車の名前にはCを付けると売れる。クラウン・シビック・カローラ・セドリック
女性雑誌にはNとMを付けろ。アンアン・ノンノ・モア
お菓子にはパピプペポを入れる。ポッキー・プリッツ・トッポ・プッチンプリン
このように企業で見られる言葉の経験則があるように、音には人の潜在脳に介入し、意味よりも先にイメージを描かせる力が存在する。
これは幼児期、耳から入る音は認識することが出来るが、その意味までは理解することが出来ない幼児が、音とイメージをリンクさせる学習から始めることに由来していると仮説する。
多くの赤ちゃんが初めてしゃべる言葉が「ママ」だが、これは母親の暖かさ・ぬくもりといった安心感に、母親が赤ちゃんにしゃべりかける音「MAMA」がリンクし、言葉として意味を内包する。
つまり、先行するイメージに後天的な意味が付けられ、言葉は生まれるのである。
その名残として子音M系の音はなめらかで温かみがあり、女性的な意味合いを持つものが多い。芽・桃・満ちる・まるみ・村・メルシィー
「言葉の音が潜在脳に描くイメージ」物理学者、黒川伊保子が提唱するサブリミナル・インプレッション(潜在的印象)を参考にし、言葉の音が持つクオリア(イメージの質)分析を行うことにより、言葉の音から受ける印象を私的に解釈し、日々のちょっとした楽しみに変える試みで遊んでみる。
クオリアは大きく分けて3種の音素に分けられる。
・静音(K、T、S、H、N、M、R)
・濁音(G、B、Z、D)
・母音(A、I、U、E、O)
クオリア分析は単純な足し算による解析を行うことが出来ない。
例えばW・Yはエントロピー増大関数と呼ばれ、直前の言葉の音をやわらげ、クオリアを拡散・昇華させる効果がある。
キウイ(KIUI)固く、言いにくい
キューイ(KYUI)羽の伸びたイメージ。キューイと言いやすく、前者に比べてなめらか
言葉とは音であり、最小の音楽単位であるとされる。
故に分析には受け手の柔軟なイメージと感覚が重要であり、ここでは音素分析はその補助にすぎない。何故なら言葉とはイメージ先行で生まれた概念だからである。
ひつじ(HITUZI)をクオリア分析してみる。
HI :Hのクオリアは広い空間、温感、特に温度に関わるクオリアが強い。特に母音Iとの結びつきは特殊であり、熱さ・寒さどちらもイメージさせる(日照り・ヒリツキ・氷雨・氷室)。Hは子音というより後続の音に人間性(体温)の意味合いを与える、後続音強調関数の意味合いが強い。
TU :Tは確かさ、強さ、充実、中身がつまったイクオリアを持つ。母音Uによって内包と受容のイメージが付与され、暖かな内面といったイメージが連想される。前述のHIに暖かさの意味が与えられ、TUのクオリアに温かみが増されている。
ZI :濁音ブレイクスルー音Zは強い振動と放出を指す。母音Iは意識対象にまっすぐ進む音、突き抜けるほどの強いベクトルを与える。Zの濁る音はベクトルとして低空のイメージを持ち、地面に突き刺さるようなイメージを連想させる。
これらを組み合わせることで、ひつじには暖かで草原に蹄をどっしりと付けた安定感を連想させるクオリアが連想される。
クオリア分析はイメージであり、具体的かつ普遍的な検証ではない。ゆえに全てに適応される法則ではないが、そのイメージを深堀する際には有効な手段ではないかと考える。例えば、自分の興味がある言葉・好きな言葉がなぜ好きなのか。それをイメージとして理解することは、自らの趣向を理解することにつながり、動けるフィールドを広げることが出来るのだ。
自分の好きなものを反芻する。その理由を素因数分解することでもっと高密度なイコンとして自己強化が可能となる。
ぼんやりとした願望や欲求に形を与えることが、次に進む御旗になるように、好色の水槽の中にゼラチンを入れてかきまぜる行為、それがクオリア分析遊びの醍醐味だと私は思う。
参考文献
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ひつじ≒木 根と選択の方向について
目の前の草を食むことに夢中な子羊。
ふっと顔を上げるとすぐそばにいたはずの母親がいない。
周囲をきょろきょろと数回見渡して。
ようやくか細くべぇ~と鳴き始める。
母親を探しながら鳴く子羊は何とも淋しく、かわいそうな気持ちでいっぱいになります。
数年前六甲山牧場でそんな光景を目の当たりにしました。
もっともその後すぐに母羊を見つけたようで、先ほどの情けない姿を隠すように「してやったり」な顔をされましたが笑
さて、迷える羊(ストレイシープ)は新約聖書にも使われることばであり、今では楽曲・映像作品・慣用表現としても広く使われるようになっています。
※ストライプ・シープは某作品のお店なので間違えないように注意
上記のように羊は群れからはぐれた時強烈な不安感に襲われ、判断力が低下し、愚かな行動をしてしまいがちですが、時に人間も「迷える羊」になることがあります。
そのなかでもストレイシープ - Wikipediaはまさに「現代人は迷える子羊である」をテーマとした作品であり、迷いの中で生きる命を描いています。
出来れば迷わずに生きていきたいものですが、複数の選択肢が目の前に出されたとき、あるいは選択肢すら見えなくなった時、人はどうしても迷い、戸惑ってしまいます。
私自身就活で散々迷った時期があり、そんなときに助けられた言葉があります。
「どこまで根を伸ばしたいか」
これは大阪府にある「ひつじの町」泉大津市の某議員に教えてもらったことなのですが、
①まずどの程度までの人を幸せにしたいか考える
一番短い範囲で自分、次に家族や恋人、友人、会社、国、地球.....宇宙といった具合に範囲を決めます。
②、①の範囲の人に何ができるかを考えます。
自分の能力として出来ることでも良いし、その人の為にもなると考えられればok!
少しでもそのエリアまで触れられれば良しとするみたいです。
③実際に②の行動をしてみる。
考えをとりあえず行動に移す。ここの段階で無理だとか、現実的ではないとか、非効率的だとか、今はその時ではないとか考えない。
根を伸ばす速さがキモだそうです。
④、③の行動の結果関わった人から学び、反省する。
行動には必ず他者が介入する。その他者から学び反省することでより、大きな樹になり、葉を広げることが出来るそうな。
①~④を繰り返すことで、自分がどのエリアのどんな人に何で貢献できるのかが分かり、今何をするべきかが次第に明確になってくる。
エリアが広がれば広がるほど関わる人間も広くなり、与える影響も、学べる経験も大きくなっていく。
「君たち大学生は今とにかく行動をして、エリアを広げて、いろんな分野の社会の人と交流して欲しい。そうすれば今抱えている不安も和らいで、見えてくるようになるから。」
といった具合の話だったと思います。(数年前の話なので間違っている部分もあるかもしれません。)
解釈の違いはありますが、
何かに迷ったときは。
①それは誰の幸せに繋がることなのか
②今そのために出来ることは何か
③いち早く(その触りだけでも)やる
④ちゃんと反省をする
ということなのだと私は思います。
自分のためだけなら楽だけれども、根は短く、得られるものも少ない。
より遠くまで幸せに出来ることを考えれば、自然と善き方向と手段に定まり、関わる人も増え、得られる物も大きくなってゆく。
迷った時の羅針盤として、この考え方はとても好きです。
その議員さんは大きな樹になって、広い葉で多くの大切な人の安らぎになりたいから議員を志したそうです。
それまで政治家って胡散臭いイメージがあったのですが、言葉と行動と思想に一貫性があるその議員さんを見て、ちょっと見る目が変わりました。
迷い羊にならないように、迷ったときは木の話を思い出して、一歩ずつ屠所の歩みを続けたいと思います....なんてね笑
ひつじ≒愛 愛の条件について
羊毛から糸と布
脂から石鹸や口紅
乳からヨーグルト、バター、チーズ
肉からソーセージや羊肉
皮から羊皮紙やシープスキン
羊は人に多くの恵みをもたらし、人の命を救ってきました。
人もまた、羊を保護し、飼いならすことで安全を守り、彼らと共に歴史を刻んできました。
羊の語源 ラテン名 ovis aries のovisはサンスクリット語の avi(保護・加護)に由来し、ここでも羊と人との関係を考察することが出来ます。
人がひつじを保護した理由。それは羊が多くのものを「与える」ものだからです。
上記に挙げた物質的なものももちろんですが、愛らしさ、暖かさ、従順さから感じられる精神的に享受出来るものもそこには含まれていると感じます。
愛の必要条件について、多くの人が自説を挙げています。
・相手のことを思い続けること
・相手に尽くすこと
・相手から感じ取り、反応を返すこと
・意見を伝え合うこと
・そもそも愛は証明できない
....etc
人の数だけその答えがあり、自分にとって納得のゆくものがその人にとっての「愛」なのでしょう。
しかし、その多くの共通点として見られるのが「与える」ことなのだと感じます。
愛する者に対して何も与えることなく愛を謳うことは出来ないと。
冲方 丁の著書 マルドゥック・スクランブルにもそんなフレーズがあります。
「愛するから愛される」
ひつじは人に多くの恵みを「与える」動物であり、それ故に「愛される」。
羊は人を愛している!なんてことは言えませんが、多くの恵みを与える羊という動物に愛情を抱く人間は少なからず存在するわけで、そんな羊を愛する人が存在する限り人と羊の歴史は紡がれ続けていくのだと思います。
思想・宗教・産業をはじめとする様々な面でも、羊は善・美・無垢・やすらぎといったイメージとして活躍しています。
「イコン」としての活用。これも羊が「与える」恩恵のひとつであり、犬、猫といった動物とは違い、日常の傍にいない動物である羊が彼らと同程度の頻度で活用されていることもデザインとして優れている証明であると思います。
物質的にも、精神的にも人に「与える」存在である羊。
羊好きが羊から形而上学的に愛を学ぶとすれば
・継続的に、相手に与え続けること
が重要なのではないかと私は考えます。
羊が生きている限り羊毛を与え続けるように、周りの人間に自分が「与えられること」を考える。
羊が多くの時間草を食み、反芻するように、興味のある知識を貪り、行動を反芻する。
自分にとっての善い行動の連続が経験としての羊毛になり、経験は多くの人に新たな楽しみや笑いを提供して温かみを与えることが出来る。
そういった行動の継続が羊的な愛の形であり、「ひつじのような愛」とする形而上学の完成に近づく術なのだと思います。
参考書籍
マルドゥック・スクランブル The 1st Compression─圧縮 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)
- 作者: 冲方丁
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ヒツジのイコン
最近、欅坂46が「黒い羊」という楽曲を出しました。
TVインタビューの中で「黒い羊ははぐれ物の意味を持ちますが...」との発言があり、素直にへぇ~そんな意味があるんやなと思いまして。
米津玄師の「Black sheep」 back numberの「泡と羊」 チャットモンチーの「three sheep」などなど、羊をタイトルにした楽曲は様々あります。
作品によって羊に込められた意味は様々ですが、ある程度の方向性があるように思えます。
肯定的なイメージであれば
無垢、信仰、正義、平和、暖かさ、繋がり、従順、牧歌的
否定的なイメージは
無力、惰性、孤独、無知、犠牲、
といったものが感じられます。
歌に限らず、羊は様々な作品にイコンとして使われてますよね。
無垢さの中で映える美しさが中心ですね。
特に中原中也の「羊のうた」は無垢の時間を忠実に文章化していて幻想的です。
すんごくおススメです♪
クラシックでいえばバッハですかね。
羊を宗教的なテーマで作品化しています。
カンタータの中には羊を表現したものが多くあります。
小説から出すならば、昨年大きな話題を呼んだ「羊と鋼の森」や村上春樹の「羊をめぐる冒険」「儚い羊たちの祝宴」等が挙げられます。
小説は作家による羊の表現が多彩かつ深いので羊を楽しむための良いコンテンツだと個人的には感じます。
日本は羊と過ごした歴史的な時間が少ない民族ですが、羊とのつながりを持ちたがっている印象を受けます。現に羊毛の消費量は世界的に見てもトップクラスであるし、上記のように、小説、音楽、芸術作品といったメディア作品には多くの羊が登場します。
果たして人は羊に何を求めているのか。興味は尽きません。